今回は当社代表のインタビューを掲載します。
山本の経歴
- 1973年:大阪府茨木市生まれ
- 幼少期:福岡で育つ
- 福岡大学:入学後、5年間で退学し、1年間土木作業に従事
- 芸人時代:活躍中の芸人に憧れ、某事務所に所属。「福岡大学」「ひげもぐら」というコンビ名で2年半ほど活動
エンドラインを立ち上げたきっかけ
ーー芸人を辞められた後、どのようにエンドライン立ち上げにつながったのでしょうか?
山本:芸人を辞めたあと、1年ほどフリーターをしていました。しかし、27歳になり「そろそろきちんと仕事に就かなければ」と考えました。ノボリや看板を制作する会社を含めて、15社の入社試験を受け、13社に合格しました。当時はITバブルで、自分の経歴が面白いと思われたようです。その中で、ノボリや看板を扱う会社を選びました。
ーーその会社を選んだ理由は?
山本:社員数が最も少なかったからです。私は福岡のビジネスの中心地である天神や博多でスーツを着て働くイメージがまったく持てませんでした。そのため、田舎に拠点があり、社員数が少ない会社を選びました。
ーーその会社で何年くらいお仕事をされましたか?
山本:その会社で4年半働きました。今でいうブラック企業に近い環境でしたが、非常にメンタルが鍛えられました。社長が朝7時10分に来るので、朝7時出社が絶対で、始業時間の9時には必ず会社を出るというルールでした。ノルマも厳しく、2時間ごとに目標達成状況を社長に報告する必要がありました。何度も「辞める」と伝えましたが引き止められ、最終的には体がついていかなくなり辞めました。
その後、引継ぎで入った方と一緒に独立し、エンドラインを立ち上げました。31歳の9月29日のことでした。
モリアゲの本質とは(会社のMission)
ーー社長にとっての「モリアゲの本質」とは?
山本:「目の前にいるその人とその場所、その時間をモリアゲる」ということです。「モリアガる」とは、人だけが感じる特別な感情の高ぶりです。この定義を決める前はノボリや看板をメインに扱っていましたが、「モリアゲ屋」と呼ばれたことがきっかけで「モリアゲアドバイザー」と名付けました。この名前は、スポーツチームや不動産、採用説明会などで我々の活動をわかりやすく伝えます。
なぜ面接で「やりたいこと」を聞かないのか
ーー社員の皆さんが「入社動機を聞かれなかったのが良かった」と話していましたが、その理由は?
山本:エンドラインは小さな会社で、明確な志望動機を話せる人は少ないと思います。また、会社がやることも変わるので、希望を聞いても応えられない可能性があります。ただし「なぜエンドラインに応募したのか」くらいは軽く聞きます。
エンドラインが考える「スポーツの力」とは?
ーーエンドラインが考える「スポーツの力」とは?
山本:スポーツの試合や懸命な姿は理屈抜きに人々を惹きつける力があります。この「理屈抜きに応援したくなる」魅力こそが「スポーツの力」です。エンドラインはこの力を支える存在でありたいと考えています。
『スポーツ飲み会』とは?
ーー「スポーツ飲み会」立ち上げの経緯について教えてください。
山本:スポーツチームのオーナーや経営層との付き合いから、スポンサー営業の重要性を知りました。チームの認知を広げ、将来のスポンサー獲得のために「スポーツ飲み会」を企画しました。規模は40人から50人が適正で、長期的な戦略の一環として開催しています。
エンドラインで活躍できる人物像
ーーエンドラインで活躍できる人物像について教えてください。
山本:「テキパキ動けて、人が好き」な人です。人と会うのが仕事で、スピードが求められるため、「走りながら考える」人が向いています。また、マルチタスクが得意な人も活躍できます。
エンドラインで実現できるキャリア例
ーーエンドラインで実現できるキャリア例について教えてください。
山本:小さな会社なので、マネージャーになりたい人にはチャンスが多い環境です。特に成長意欲が高い人や野心を持つ人には多くの機会があります。挫折を経験し、それを乗り越えた人材を重視しています。
エンドラインの将来展望
ーーエンドラインの将来展望を教えてください。
山本:5年後には上場を目指しています。また、スポーツチームのマーケティング専門の会社を立ち上げたいと考えています。将来的にはスポーツチームのオーナーになることも視野に入れています。
就活生に向けて
ーー就活生に向けて「ひと言」お願いします
山本:「何をやるか」も大切ですが、「誰と働くか」を重視しています。良い会社に入社するのではなく、自分が良い会社を作っていくという意欲を持つ方とたくさんお会いしたいです。